辞世の句

椿山課長の七日間」を読んで、人の死というか生き方に
ついてほんのちょっとだけ考えてみた。信心深くないおい
らは死後の世界とか来世とかはまったく信じていないので、
「死ぬまでの生き方」としてだが。

辞世の句とは、人が死に臨むときに残す短い言葉のことだ。
「人の将に死なんとするその言や善し」(ひとのまさにしな
んとするそのげんやよし)と「論語」にもあるように、人が
死に臨んで言う言葉は、純粋で偽りも飾りもないものである。
(これについては「人がこれから死ぬという時には、立派な
ことを言うものである。どんな悪人でも、これから死ぬとい
う時には良いことを言う。」との解釈もあるようだが・・・)

先人の辞世の句には参考になるものがいろいろある。おいら
も死というものにいつ直面するかはわからないが、そのとき
までに先人たちの残した言葉を胸に刻んで、精一杯生きてい
きたい。

おいらが知っている中で今まで印象に残っている3人の辞世
の句

「おもしろきこともなき世をおもしろく」高杉晋作

「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」松尾芭蕉

「身はたとひ武蔵野野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂
 吉田松陰

激動の時代に誰よりも激しく生きて(激しすぎるけど・・・
)27才という若さで波乱万丈の人生を終えた高杉晋作、自
分の生きた時代がおもしろくないこともないとおもうのだが、
若さ、激しさ、へそ曲がりなのかわからないが興味深い句で
ある。

おいらはこの高杉晋作の句が若い頃から大好きである。これ
を詠んでその時感じたことは、「どんな時代に生きても面白
い時代というものはなく、面白く生きるもつまらなく生きる
も自分しだいだ」ということだった。

松尾芭蕉の句については、おいらが死の病気になって床に臥
せれば想うことは、家族のことはもちろん1番だが、山のこ
とが2番だろう。青空の下、汗をだらだら流しながら稜線を
かけめぐる、ふと立ち止まると心地よい風が吹いていて足元
には小さな花が風にそよいでいる。振り返ると遥か向こうか
ら辿ってきた道が見え、前には進む道がはるか遠くに見える。
イメージとしては喜作新道あたりだろうか、そんな景色だ。
または時間によって色が徐々に変わってくる山の朝や、月明
かりしかない山の稜線を一人で行くなどの景色をきっと想う
に違いない。

吉田松陰の句については、自分や自分の周りさえよければい
いおいらにとって、死ぬ際にも自分のことよりも日本のこと
を心配している吉田松陰の姿は自分にはまったくないものな
ので、その純粋さに少しだけ憧れてしまう。

「辞世の句300選」とか「元気なうちの辞世の句」とかと
かいう本もあるようだ。機会があったら読んでみよう。