ハセ○ネ惨敗記

画像は後ほど

当初は電車で行く方向で検討していたが、リタイヤの可能性も少しはあるし、秘密兵器(モンキー)もあるので車にした。
9:00に達観宅へお迎え。環状道路から甲府南IC~圏央道八王子西ICといく。
ノンストップで行ったので10:20頃には武蔵五日市駅付近に到着していた。案外近いものだ。
はるか遠くに車をとめてモンキーで会場まで行こうと思っていたが、係員と駐車場の案内に従って行くと臨時の有料駐車場にまだ少し空きがあるという。2000円払ってお寺にとめた。

スタート地点の中学校近くにスーパー『いなげや』があり、早めの昼食とした。万年ダイエッターのおいらとしては天丼なんて食べるのは何年ぶりだろう。けっこうヘビーな食べ物だ。

11:30頃には会場入り。支度をしてのんびり過ごす。

12:30開会式
今年から目標タイムごとに並んでのスタート。おいらたちは20時間の列に並び、その中でも最後尾のほうに位置した。周りの様子を見ると、最後尾の30人ほどは見るからに『登山者』であとはすべてランナーの雰囲気。

13:00 運命のスタート

中学校グラウンドは渋滞でなかなか進まず、通りへ出ても人混みだ。おいらたちは前が詰まっているのでゆっくり歩いているのだが、沿道の応援者からこんな声も聞こえる。「こんなペースでいいのなら、わたしにも出られそうだわ」
来年出てみて下さい・・・・

山道に入る前の道路では人もばらけてきて走る人も多いが、どうせこの先渋滞しているのだからと歩く。ここの沿道からはこんな声援も「せめて第一関門まではたどりつけ」
これはひどい・・・

山道に入るところでは案の定名物の大渋滞が。後ろを振り返ってみると、30人くらいしかいない。

さて、登山道に入ると一列縦隊になって登っていく。ところどころ渋滞もある。ここは登りが基本だが、軽いアップダウンもある。驚いたのが、平らや下りのところはもちろん、軽い登りでもすべて『走り』である。こんな順位なのだからもっとスローペースなのかと思っていたが、みんなけっこうなハイペースであった。

第一予備関門の入山峠、第二予備関門の醍醐丸と順調に行く。疲労もまったくなく、ペースこそあがらないものの、どこまでも歩いていけそうで順調な滑り出しである。
体調に異変を感じ出したのはこの直後、暗くなってヘッドランプを装着してから。まだ夕方5時すぎなのに眠くてしかたない。頭もぼうっとしてきた。体もだるくなって頭も痛い。水分も異常なほど消費してしまった。きつい登りでは息も切れて思わず立ち止まる。低血糖症状かとの自己判断をして飴玉をほおばると、体調は劇的に改善したので歩き続けられて第一関門の浅間峠を通過した。
渋滞と自分の体調不良で40分以上はロスしただろうか。

しかし第一関門を通過して、しばらくたつとまた症状がでてきた。今回も飴でなんとか改善したものの、それからしばらくたってからの3度目は過去最大級の症状がでて動けなくなってしまった。頭の活動度は普段の10パーセント以下だし、息も酸欠状態、脚もまったく動かない。おまけに古傷の左足の指の付け根も腫れてきたようで一歩一歩が痛くて朦朧としてきた。
このままでは達観に迷惑をかけるばかりだと思い、リタイヤの可能性が高いことを告げ、先に行ってもらう。しばし休憩していると具合の悪さは収まったので再び歩き出す。

25キロの標識がある日原峠ベンチにて休憩しながら続行するかどうか悩む。症状からして体が危険信号を発していると思うし、このままでは重大な事態を起こしかねない。そうでなくても注意力散漫で怪我する可能性は高いし、脚の痛みも相当なもの、残念だがこれでは残りの2/3を完走することは無理と判断。第一関門まで引き返すことにした。
途中では選手マーシャルとすれ違い話しをしたが、マーシャルも「第一関門まで引き返すのが正解だと思う」とのことで1時間30分くらいかけて戻った。

しかしここからもけっこうたいへん。リタイヤするのも楽じゃない。浅間峠から車が待つ車道に出るにはコースタイムで50分かかるのだが、一人で下るのはダメで、リタイヤした人で固まって降りてくれと言われる。10時まで1時間も待ってから下る。車道にでても、第一関門との連絡がとれず、車はなかなか発車してくれない。結局中学校に戻ったのは12時頃になってしまった。
早い人が次々にゴールする姿があったが、自分自身のリタイヤの悔しさで、早い人たちの勇姿も直視することもできず、モンキーでビールを買ってから車に戻り、敗北の苦い酒を一人で味わった。

達観の様子が気になるので電話するもまったく繋がらない。リタイヤして戻ってくれば繋がるはずなのでレースを続けているのだろうか。それならいいが、怪我や遭難だけはしないでくれ。そうなりゃあおいらの責任は重大だ。
達観のことがけっこう心配で、夜も眠れないかなと思ったし、何かあっても行けるように酒も控えめにしようかと思っていたが、乾いた砂漠に水を吸収させるようなもので、たくさん吸収してしまったし、しっかり熟睡もできました。

朝起きても電話は繋がらない。ようやく8:00頃繋がる。一人で相当な苦労をしながらも続行していると言う。ふう、安心した。現在地点を聞くと第三関門まではあと5kmとのこと。地図を見ると、む、第三関門までケーブルカーで行けるのか。ヒマなので驚かそうと行ってみることにした。ケーブルカー駅ではリタイヤ者が2人ほどいた。ここまで来てのリタイヤはさぞかし無念だろう。時間もたっぷりあるのだからよほど重大な事態だったのかな。

第三関門で脅かせてやろうとしばらく待っていたが来ない。計測の係りの人に聞いてみると達観は1時間も前に通過したという。やい達観、さきほどの電話で現在地を間違って報告したな。言ったとおりなら山中の5kmを20分で通過したことになるぞ!
ケーブルカー代1000円かけて行ったのに・・・御岳神社など見学できたので、まあいいか。

ゴール地点に戻って達観のゴールを待つ。

おお!達観が見えた。最前列に飛び出して「おめでとう」と迎えようとした瞬間・・・・
おいらの前にいた4人ほどの若い人たちが言う「おい見ろ!あのおじさん麦わら帽子だぞ」
「うわあ珍しいよな。夜もかぶっていたのかなあ」「あれはあれでいいよな」なんて言って笑っていたので、飛び出すのに一瞬躊躇したら出迎えのタイミングを逸してしまった。

ゴールした達観に、用意しておいたビールやら飲み物を渡す。美味そうに飲んでいる。
おいらも完走してこんなふうに飲みたかった。
達観完走おめでとう。ホント申し訳なかったよ。まさかおいらが足を引っ張るとは、想像しなかったアクシデントの中よく頑張った。おいらがいない状態ではすぐにリタイヤかなと思ったけれど、ちょっとここでは書けないような壮絶な苦労をしながら、けっしてあきらめることなく完走したことは誇っていいよ。このことはタイムには現れないし、この体験はこれから知る人も少ないと思うが、絶対に価値あるものだよ。心から祝福したいね。

さて、来年だがどうしよう・・・

このコース、登山道がまったく面白くなかったのだよ。ただ黙々と歩くだけ。登って下ってまた登るの延々の繰り返し。見えるものは前の人の足元だけ。特に暗くなってからは何も見えず、ただひたすら歩くだけの行為を続けるのみとなってしまっていた。
今回は体調が悪く怪我もあり、普段楽しいはずの山を歩く行為が、ただ辛いだけのものになってしまっていたのかね。

もし来年参加した場合、今年と同じことにならないか心配なんだよね。しっかりレースに入り込めるのだろうか、単調なこの登山道でも普段の体調なら楽しんで歩けるのだろうか、それとも『完走』という目的を果たすために、ただただ辛い道程を耐えるだけなのだろうか。
昔から夢であったこのレースをこのような形で終えてしまい、今はかなり凹んでいる状態で来年のことは考えられないですね。

達観は、「普通に行けば普通に帰ってこられるぞ」と言っているので騙されてみるか・・・