76年前に想いを馳せて走った。

2月26日に東京の街を走った。

今は休眠状態にあるが、おいらのHPのタイトル、『青空が仰ぎたい』は、ご存知の人もあると思うが、二・二六事件で死刑になった青年将校が獄中で書いた詩だね。この事件から76年後の2月26日に、こうやって東京の街を走るなんてとても感慨深かったよ。

ここでもう一度紹介しよう。

青空が仰ぎたい。 太陽の光を全身に浴びて、大地を心ゆくまで踏みしめたい。
すがすがしい新緑の木の葉の匂ひを肺臓一杯吸ひたい。
さうして精一杯働いて働き抜きたい。 人はすべてを失つたとき此の心が湧く。


元歩兵中尉・竹嶌継夫


当時は農村がとても疲弊していたり、一部の特権階級の腐敗が蔓延るのを見て青年将校たちが決起したと言われているね。この事件への感想などは省略するが、陸軍士官学校を首席卒業という、とても優秀であった竹嶌継夫中尉は死刑を宣告され、獄中で何を思ったのだろうか。後悔だろうか、満足だろうか。

この詩からは、「青空のもと、太陽の光を浴びて普通に働いて、普通に生活していくことが一番尊い」と、死を前にして心より思っているように感じるね。

おいらも40才を数年前に過ぎてしまった。自分にはもっと何か出来るはずだと思っていた若い頃と違って、今は普通であること、健康であることが何より貴重だと思ってるね。そして、「山で青空が仰ぎたい。 太陽の光を全身に浴びて、大地を心ゆくまで踏みしめたい」ね。松尾芭蕉の句に「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」 とあるけれど、同じようなことだと思うね。「人はすべてを失つたとき此の心が湧く。」ものなのだろう。

最近では『平成維新』を掲げる勢力が脚光を浴びている。しかし、この事件も将校たちが『昭和維新』を掲げて決起したんだよね。もっといえば、そもそも『明治維新』さえも、おいらは世間の人並には認めていない。どうも『・・維新』って、危険な響きだな。

そんなことを考えながら走った日でした。(本当は必死でまったく考えていなかったけどw)