清里開拓物語 感激の至情、楽土を拓く

岩崎 正吾/著

清里は美しい土地だよ。青い空に白い雲、八ヶ岳がそびえ牧場を清らかな風が流れる。でも、そこに座り、耳をすませてごらん。大地の底から聞こえてくるだろう。この地を切りひらいた男や女たちの声が。苦しみにあふれてはいるが、希望と信頼にみちた声が…。困難と闘った人々の、希望と信頼にあふれた物語を、清里を愛するすべての人に捧げたい。

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これから夏休みの季節、清里へ行けば気持ちいいよね。どこまでも続く青い空と八ヶ岳の眺め、高原を涼風が吹き抜けていく。
今でこそ、キープ協会や牧場、別荘やペンションなど高原リゾートとして賑わっている清里だけれど、清里の地はどういう人たちによって開拓されたか、みんな歴史のことを知っていた?

昭和の初期に東京の水不足を解消すべく、奥多摩にダムを作ることになったそうな。このダムの湖底に沈みゆく集落、小河内村や、丹波山村小菅村からの計28戸 62人がこの未開の地に入植し、苦労に苦労を重ねて清里を開拓していったとのこと。特に水では苦労したらしいですね。東京の水不足のために故郷を追われて入植した人が、新しい地で水不足に苦労するとは皮肉やね・・・

清里には開拓の父と呼ばれる人が2人いるとのこと。一人は有名なポール・ラッシュさん、もう一人は安池興男さんです。ポール・ラッシュは「酪農を伝えて清泉高原を拓いた恩人」、安池興男さんは山梨県八ヶ岳開墾事務所長として、「農業を教えて入植者を支えた」として尽力された人らしいですね。