旅する力 深夜特急ノート



沢木耕太郎

深夜特急』では書かれなかったエピソードや、旅に出るまでの経緯、沢木耕太郎ができるまでとも言うべきデビュー直後の秘話など、旅に関する文章の総決算となる初の長編エッセイ。

序章 旅を作る
第1章 旅という病
第2章 旅の始まり
第3章 旅を生きる
第4章 旅の行方
第5章 旅の記憶
終章 旅する力

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おいらは10代の頃から沢木さんの大ファンですね。特に沢木さんのノンフィクションものは、淡々と文章が書いてあって素晴らしいやね。
沢木さんは知らない人でも、猿岩石の『デリーからロンドンまで乗り合いバスだけを使っての旅』は有名ですよね。これは沢木さんが実際に行った旅を書いた『深夜特急』がモデルとされていますね。

おいらは『旅』には強い憧れがあるな。おいらは高卒で働きはじめたので、『旅行』はあってもこういう旅をする機会はほとんどなかったからなあ。
唯一旅らしかったものといえば19才の2月、転職の際に少し間があったので2週間ほど車中泊をしながら車で紀伊半島を廻ったくらいでしょうか。
どうしてそのとき紀伊半島に行こうと思ったのかはまでは思い出せないけれど、当時はC・W・ニコルさんの『勇魚』を読んでいたこともあって和歌山県の太地へ行ったなあ。古の人が鯨が来るのを見張っていたという岬から海を眺めたりしたっけ。おりしも翌年から商業捕鯨も中止となるということで、そのときに『鯨の町、太地』に行ったことは感慨深いものがありましたね。鯨もフルコースでいただいてきました。

↑昔からこういうの、好きだったんだなあ。

博物館で見た鯨のチンチンのホルマリン漬、2mくらいあったぞ。負けたよ。

高野山のお寺にも泊まったなあ。朝、お経をあげる申し込みをしておいたのに起きていかなくて、若い小僧さんが起こしにきたのに「寒いからイヤだ」抵抗したら、今度は偉い坊さんに怒られたりしたっけ。「あなたは何をしにここに泊まりにこられたのですか」

和歌山城もすばらしかったな。連立した天主群や櫓も美しかったし、なんといっても地形的にも素晴らしい立地にあったなあ。背後には天然の要害のように山があり、そこには複数の砦も配置されていたという。目の前の紀ノ川もゆるやかに流れていて海へ注いでいた。風光明媚な城下町で江戸時代にはさぞかし賑わっていたであろう。あの景色は忘れられないな。日本のお城の中でも、自分の中で和歌山城はベスト3に入るね。

三重では英虞湾の風景がよかったなあ。そのときは何の知識もなく、地元の人が教えてくれた登茂山というところを偶然にも夕暮れに散歩していたけれど、そのときの英虞湾に沈む夕陽の美しさといったらなかったね。思わず息を飲むほどだったよ。当時はここ、あまり整備されていなくて人もまったくいなかったのだが、それから数年後に妻といったら、公園、展望台、遊歩道などが綺麗すぎるくらいに整備され、人も多くてかなり興醒めだった記憶があるな。

ほんのわずかな旅でも一生の想い出になっているものだね。たいが、たくちゃん、いつか旅は経験してこいよ。あっ、そうそう、旅費は自分で稼いでからね。