百名山の人 深田久弥伝 田沢拓也



深田久弥と聞けば山が好きな人では名前を知らない人がいないく
らいの巨匠だ。ご存知「日本百名山」は山の本では評価も高く、
これらの全山登頂を目標に山へ行っている人もかなりいるようだ。
おいらは本としての「日本百名山」は大好きで、何度も何度も読
み返している。深田久弥氏の山への憧憬が素晴らしい表現でまと
めてある。

深田久弥氏の終焉の地は茅ヶ岳、1971年に登山中に脳卒中で亡く
なった。麓の駐車場近くには深田公園というものがあり整備され
ているらしいが、一回も行ったことないので今度見てこよう。登
山道にも「深田久弥氏終焉の地」の碑があり登るたびに横を通る。
昨年度は茅ヶ岳へ6回~7回行ったなあ。たいがも初めての山登
りでここへ行ったけど、碑にあるお賽銭を見て「ここのお金持っ
て帰ろうか」って言っていたっけ。

しかし、深田氏が「日本百名山」を書いた以外になにをした人か
というとおいらはまったく知らなかった。ただの山好きなおじさ
んにしては文章が只者ではないとは思っていたが。図書館にこの
本があったので読んでみた。

石川県大聖寺町に生まれ、東京帝国大学文学部哲学科に在籍しな
がら雑誌社の懸賞小説の下読みをする仕事をしていた。そのとき
に応募してきた北畠八穂と知り合い同棲するようになってからい
くつかの作品を発表、これらの評価も高かったことから大学も雑
誌社も辞めて作家として独立した。

やがて北畠と入籍したが、翌年には初恋の女性の木庭志げ子と偶
然再会してしまう。脊椎カリエスで寝たきりの北畠を置いて志げ
子と逢うようになり、志げ子が深田の子を出産、中国大陸に出征
して帰ってきた深田久弥は志げ子と再婚してしまう。このことに
激怒した(あたりまえじゃw)北畠は、今までに深田が発表した
作品のほとんどが自分の書いた本を手直ししただけのものと暴露
したので深田は作家としての信用がなくなってしまった。以後の
深田の暮らしぶりは相当貧しいものであったようである。

やがて山の活動を中心に執筆活動を行い、発表した「日本百名山
」が高く評価され人気作家に返り咲いたようである。

うーん、読んでみてもあんまり褒められるような人生でなかった
ような・・・

また、この本を読んだだけではどこまで事実かはわからないが、
この本にでてくる北畠八穂像はだいぶおっかない人だったようで・・・